子育てをしていると、大人が作った様々な物語に再会する。
昨年、5歳の娘が東京ディズニーランドへ行きたいと言い出した。
「予習が必要だろう」
そう思い、2か月だけディズニープラスに加入した。
加入したというより、見せられた。
浴びせられた。
40歳になってから観るディズニー映画はなかなか面白い。
子供の頃は王子様とお姫様を見ていた。
しかし40歳になると違う。
働いている人ばかり目に入る。
ディズニー映画の基本構造はだいたい同じだ。
お姫様がいる。
イケメンがいる。
そして何らかの障害が発生する。
観客は主人公たちの恋愛を見ているつもりだが、40歳のおじさんは違う。
「これ誰が回しているんだ?」
ということが気になる。
例えば『リトル・マーメイド』である。
あれは海底王国の姫が人間の王子に一目惚れする話だ。
冷静に考えると国家的な危機である。
王女が勝手に異文化交流を始めている。
だが物語を成立させるために奔走する男がいる。
カニのセバスチャンだ。
王の命令と姫の暴走の間で板挟みになりながら、なんとか事故が起きないように走り回る。
しかも最後まで責任を放棄しない。
管理職の鑑である。
主人公は王子でも姫でもなく、彼なのではないかと思う。
フランダーも偉い。
友人という立場でありながら危険な場所に何度も付き合わされる。
止めても聞かない。
逃げても巻き込まれる。
それでも見捨てない。
こういう友人は40歳になると貴重である。
『美女と野獣』も同じだ。
主人公はベルではない。
私はロウソクだと思う。
野獣はコミュニケーション能力に深刻な問題を抱えている。
ベルも心を開かない。
その状態でロウソクは晩餐会を企画する。
しかも半ば独断である。
さらに館の運営を維持し、最後は家具たちを率いて侵入者を撃退する。
どう考えても中間管理職である。
彼がいなければ映画は30分で終わる。
『アラジン』もそうだ。
みんなアラジンに注目する。
だが願いを叶え、恋愛相談に乗り、人生相談に乗り、時には変装の準備まで手伝うのはジーニーである。
あの物語はジーニーが有給休暇を取った瞬間に終了する。
こうして見るとディズニー映画は不思議だ。
子供は王子様とお姫様を見る。
大人は裏方を見る。
そして40歳になると、どうしても裏方に感情移入してしまう。
「大変だな」
「胃が痛そうだな」
「その案件は断った方がいいぞ」
そんなことばかり考える。
先日、ディズニーランドへ行く話になった。
妻の友人が衣装を貸してくれるらしい。
「誰になりたい?」
と聞かれた娘は即答した。
「エルサ!」
さすがである。
やはり主人公に憧れる年齢なのだろう。
私は少し考えた。
もし私がコスプレをするならセバスチャンかロウソクになる。
物語の主役ではない。
だが、あの人たちがいなければ話は始まらないのである。

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