リヨンくんに花束を

土曜日の話。

相変わらず大濠公園の練習会での会話である。

10人ほどで朝6時から12km走をしていた。

すると我々を追い抜いていく男がいた。

実業団出身で、今はモデルをしながらランニングコーチもしているリヨン君(仮名)である。

しかも女の子の自転車伴走つきだ。

我々中年ランナーがゼエゼエ言いながら走っている横を、爽やかな笑顔で通り過ぎていく。

なかなか残酷な光景である。

その後ろ姿を見ながら、20歳の大学生が私に尋ねた。

「どうやったらモテるんですかね」

簡単に答えるのは楽だ。

だから私は適当に答えた。

「足が速くなればモテるぞ。フルマラソンで2時間30分を切れば魔法使いも卒業できる」

大学生は笑っていた。

しかし私は知っている。

20歳くらいの男というのは、こういう冗談を意外と本気で信じる生き物である。

その日の昼。

子供を連れてドライブしていたら、3人とも寝てしまった。

静かになった車内で、読みかけだった アルジャーノンに花束を を開いた。

何度読んでも不思議な小説だと思う。

チャーリーは知能を手に入れれば幸せになれると思っていた。

賢くなれば人に認められると思っていた。

愛されると思っていた。

だから手術を受けた。

そして実際に誰よりも賢くなった。

しかし彼が手に入れたのは幸福ではなく、自分と他人との距離だった。

考えてみると、人間はみな似たようなことをしている。

大学生は足が速くなればモテると思っている。

受験生は良い大学に入れば幸せになれると思っている。

会社員は昇進すれば報われると思っている。

私は私で、若い頃はフルマラソンを速く走れるようになれば何かが変わると思っていた。

人間はいつも何かを追いかけている。

年収だったり。
学歴だったり。
肩書だったり。
走力だったり。

そしてそれらを手に入れた場所に、自分の居場所があると思っている。

だが現実は少し違う。

目標にたどり着くと、そこには同じような人間が大量にいる。

福岡国際マラソンを目指していた頃の私は、その事実に少し驚いた。

速いランナーの世界には、速いランナーしかいないのである。
当たり前だ。

しかし当時の私は、その当たり前に気付いていなかった。

大学生もきっと走るだろう。

厚底シューズで地面を叩き続けるだろう。

先輩に追いつき。

誰かを追い抜き。

記録を更新し。

いつか自分も速いランナーになるかもしれない。

だがその先に待っているのは、女の子の歓声ではない。

日曜日の朝から汗臭いおじさん達とマラソン談義をする世界である。

それでも。
努力することが無意味だとは思わない。

チャーリーにとってアリスがいたように。

大学生にも、いつかそんな人が現れる気がする。

結果ではなく過程を見ている人。

タイムではなく、その人自身を見ている人。

自分では気付かない変化をずっと見ている人。

案外そういう人は、目標にたどり着いた後で初めて見つかる。

私も20年以上走ってきた。

おかげで多少は足が速くなった。

その代わり膝は痛くなった。

爪は何枚も失った。

乳首から血も出た。

家族からは呆れられている。

それでも振り返ると、
人生で価値があったのはタイムそのものではなかった気がする。

朝暗いうちから集まった仲間や、応援してくれた人や、
何も言わず見守ってくれた家族だった。

結局のところ、人間を支えるのは能力ではなく関係なのかもしれない。

そう考えると、あの日リヨン君を伴走していた女の子も、足の速さだけを見ていたわけではないのだろう。

人格かもしれない。

努力かもしれない。

優しさかもしれない。

いや。

やはり顔かもしれない。

私はそう思いながら、昼寝から目を覚ました三人の子供たちにジュースを配ったのであった。

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