シール交換

今日は顧客先で事件が起こった。

重大トラブルの打ち合わせだった。

名刺交換のために名刺を差し出した瞬間、相手の表情が止まった。

私の名刺に大きな猫のシールが貼ってあったのである。
一枚ではない。

五枚ほど連続で貼られていた。

おそらく犯人は6歳の娘だ。

前の日にリビングの名刺入れを放っておいたのを思い出した

一瞬静まり返ったあと、どっと笑いが起きた。
「シール交換が流行っていますよね」

場の空気はずいぶん和らいだ。

トラブル対応の場としては不謹慎かもしれないが、結果としては助かった。

しかし帰り道で妙なことを考えた。

シール交換と名刺交換は、案外同じことをしているのではないか。

シールそのものに大した価値はない。

森の中へ持っていっても何の役にも立たない。
情報が印刷された紙切れに過ぎない。
名刺も同じである。

肩書や会社名や連絡先が書いてあるだけの紙だ。

人間同士だから価値を感じるのであって、熊から見ればどちらもただのゴミである。

子供たちはシールを集める。

珍しいシールや高価なシールを交換する。
それによって
「私はこれを持っている」
「私はこれを手に入れられる」
ということを示す。

自己表現であり、自己掲示である。
名刺も案外似ている。

会社名や役職や所属部署というシールを交換しながら、
「私はこういう人間です」
と示している。

そう考えると、私自身も長いことシールを貼って生きてきた。
陸上競技を続けてきたので、私は「体育会系」というシールを顔に貼っている。

就職活動でもそうだった。

組織のために苦労した話を少し盛り、
努力や根性のエピソードを並べ、
熱血で前向きな人間ですというシールを差し出した。

営業になってからも同じだ。

毎日走っている。

マラソンをしている。

体育会系だ。

そんな印象を相手は持つ。

もちろん嘘ではない。

だが実態は少し違う。

図書館が好きで、
一人で考え事をするのが好きで、
社交的とは言い難い。

どちらかといえば内向的な人間だ。

私はこれまで、そのシールを利用してきたし、そのシールにも利用されてきた。

先週、娘と一緒に録画していた 魔女の宅急便 を見た。

あの作品では、なぜキキが魔法を使えなくなるのかがよく議論される。

私が好きなのは別の見方だ。

物語の前半、キキは「魔女子さん」と呼ばれる。

魔女というシールで認識されている。

しかし後半になると、人々はちゃんと「キキ」と呼ぶようになる。

魔女だからではなく、
キキという人間そのものを見ている。

性格や癖や優しさを知ったからだ。

シール交換を卒業したのである。

ジジと話せなくなったのも、その成長の一部なのかもしれない。

打ち合わせの最後、お客さんに言われた。
「次回はシール交換しましょうね」
完全に覚えられてしまった。

次に会うまでには何か面白いシールを準備しなければならない。
私は必ず「おしりシール」を入手し、この顧客との再会に備えたいと思う。

名刺交換のためではない。
シール交換のためである。

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