先々週の日曜日の練習の話。
いよいよ夏が始まる。
薄着の季節なので、この時期になると毎年少しだけ体をムキムキにしたくなる。
その日のメニューはレペテション300mを10本に1600m。
レペテションというのは、要するに全力で走る練習である。
大学生も何人か参加していた。
若者たちは元気が良い。
設定よりも短いリカバリーで次々とスタートしていく。
私は一応年長者なので、
「よし、次行こうか」
などと平然と言う。
しかし本心では、
「おいおい、まだ1分も休んでいないじゃないか」
と思っている。
だが二十歳の瞳というものは不思議な力を持っている。
彼らがこちらを見ていると、
休みたいとは言えなくなる。
今の自分が若い頃の自分には敵わないと知りながら、
いまだにレースへ出続けているのと少し似ている。
結局私は、
「仕方ない。付き合ってやるか」
という顔をして一緒に走る。
そして最近、自分について一つ発見したことがある。
練習が苦しくなってくると、私は急に雄弁になるのである。
普段の私は根性論を語るような人間ではない。
むしろそういう話は少し照れくさい。
ところがレペテションの終盤になると事情が変わる。
例えばこうだ。
「二十代よ!君たちの二倍地面を蹴ってきたじじいに負けたら許さんぞ!」
などと叫ぶ。
若者たちは笑う。
私も笑う。
しかし足は少し速くなる。
不思議なものである。
しばらくすると今度は、
「あと2本。だが最後の1本は身体へのご褒美だからそれはデザート。ということは実質これがラストだ!」
と言う。
自分でも理屈が分からない。
だが言った以上は走らなければならない。
結果として全員走る。
これは案外合理的な仕組みなのかもしれない。
さらに苦しくなると、
「他の誰かに負けてもいい。昨日の自分にだけは負けるな。晩飯と酒がまずくなる」
などと言い出す。
そして最後には決まって、
「男が強くなりたいことに理由なんかいらない。昨日の自分を倒せ」
で締める。
普段の私を知る人が聞けば少し驚くかもしれない。
私自身も少し驚いている。
どうやら私は体育会系ではない。
しかし私の中には体育会系になりたかった誰かが住んでいるらしい。
彼はレペテションの終盤になると突然現れ、
勝手に演説を始める。
昔は黙っていてほしいと思っていた。
だが最近はそうでもない。
四十歳を過ぎると、新しい友人はなかなかできない。
せっかく長年付き合ってきた相手である。
しかも苦しい場面になるほど元気になる。
考えてみれば、なかなか頼もしい男ではないか。
最近はレペテションよりも、彼が次に何を言い出すのかを聞くのが少し楽しみになっている。

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