雷鳥は去らなかった
投資系ユーチューバーが登山をして雷鳥を見つけたと言っていた。
一眼レフで撮った写真も映っていた。
私は昼休みの弁当を食べながらそれを見ていた。
弁当箱の壁にこびりついたカレーの米粒をスプーンで削る。
削る。
削る。
ふと手が止まった。
そういえば俺は昔、本気で鍋をヤスっていた。
2004年の夏である。
大学一年生だった。
私は陸上部を辞めていた。
長距離をやりたくて陸上部が250人もいるマンモス校の陸上部へ入ったが、大牟田高校出身の特待生たちは速かった。
そして遠かった。
「お前はついてこれない」
言葉はもっと柔らかかったかもしれない。
しかし私にはそう聞こえた。
若かった私はそれを真正面から受け止めた。
悔しかった。
だが悔しさだけでは足は速くならない。
何をしようか迷った時、父の言葉を思い出した。
山はいいぞ。
私はワンダーフォーゲル部へ入った。
八月。
三十キロ近い荷物を背負って南アルプスを歩いた。
木曽駒ヶ岳だったか。
甲斐駒ヶ岳だったか。
北岳だったか。
順番はもう曖昧である。
だが空気だけは覚えている。
肺の奥まで冷たかった。
山で生き残る秘訣を先輩から教わった。
鍋をヤスれ。
食後の鍋に湯を入れる。
スプーンで底を削る。
米粒を一つも残すな。
標高三千メートルでは米粒も食料である。
私は真面目に鍋を削った。
今思えば弁当箱のカレーを削っている姿と何も変わっていない。
人間は案外成長しない。
高山病にもなった。
頭が痛かった。
吐き気もした。
予定より三日ほど早く下山した気がする。
甲府から帰った。
その旅の途中で雷鳥を見た。
灰色だった。
地味な色だった。
だが美しかった。
山の景色は今でも人生で見た景色の上位に入る。
稜線はどこまでも続いていた。
雲は足元にあった。
空は近かった。
私は感動していた。
本当に感動していた。
だが今になって正直に言う。
あの時の私の心の中心にいたのは雷鳥ではない。
陸上部だった。
南アルプスの絶景の中にいても、
私は長距離を走る連中のことを考えていた。
あいつらは今日も走っているだろうか。
俺は何をしているのだろうか。
そんなことばかり考えていた。
結局私は下山した。
ワンダーフォーゲル部には涙の別れを告げた。
そして十月に陸上部へ戻った。
何とかしがみついた。
レギュラーになったりなれなかったりした。
四年生では副キャプテンも務めた。
苦しかった。
だが良い時間だった。
ヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』には凍ったヒョウが出てくる。
なぜそんな高みにいたのか誰も知らない。
若い頃の私はああいうものに憧れた。
高く。
遠くへ。
誰も行かない場所へ。
だが今思う。
私はヒョウにはなれなかった。
そして雷鳥にもならなかった。
私は下山した人間である。
会社へ行き。
子供を育て。
米を作り。
おじさん達と走り。
昼休みに弁当箱の壁をヤスっている。
動画は次の銘柄の話に移っていた。
私は弁当箱を閉じようとして、蓋の裏に米粒が一つ残っているのを見つけた。
私は当然それを食べた。

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