20年後のスタートライン

不思議なことがある。

一番速かった人ほど、消えてしまう。

私には関西時代にタロウくんという友人がいた。

400メートルを51秒で走る。

私から見れば、天賦の才を持った選手だった。

初めて会ったのは2012年頃。

隣町のチームの選手だった。

彼のチームにはカッツさんという先輩がいた。

私とよく似たOSを積んだタイプの人だった。

ただ、私に対しては圧倒的に負け癖がついていた。

だからなのか。

タロウくんは最初、どこか仇討ちのような顔をして練習会や大会にやって来た。

ところが気付けば、一緒に走っていた。

グアムまで一緒に走りに行った。

短い距離では勝負にならない。

だが、マラソンになると話は変わる。

いつしか彼の目標は、

「琵琶湖でマエケンさんを倒す」

になっていた気がする。

もちろん、私の思い込みかもしれない。

だが2019年の琵琶湖毎日マラソン。

皇子山競技場。

最後のトラック二周。

私たちは本当に勝負をした。

人生で最高のレースの一つだった。

全身全霊。

魂を削るような勝負だった。

そして私は0.1秒負けた。

悔しかった。

だが、幸福だった。

こんな勝負は人生で何度もあるものではない。

ところが翌年、彼はいなかった。

その次の年も。

最後の琵琶湖毎日マラソンにも彼はいなかった。

理由は知らない。

仕事かもしれない。

家庭かもしれない。

あるいは、やり切ったのかもしれない。

彼のいない最後の琵琶湖は、何か気の抜けたビールのようだった。

私はまだ続きを走りたかった。

そんなことを考えていた昨年末。

福岡でマタロウくんが現れた。

20年ぶりだった。

彼は大学時代の後輩である。

私がレギュラーを狙っていた頃に現れた怪物だった。

フィジカルだけなら勝てる要素は一つもない。

だから私は全生命力で戦った。

2005年7月。

博多の森の記録会。

「この記録会で勝った方を北海道合宿へ連れて行く」

大牟田高校出身の先輩はそう言った。

結果だけ言うと、私が勝った。

そして19歳の私はこう言ったらしい。

「ざまあみろ!」

本当に俺がそんなことを言ったのだろうか。

今では少し信じられない。

たぶん、余裕がなかったのだろう。

卒業するときまで、そのエピソードで皆にからかわれた。

そして20年。

大濠公園で再会した彼は言った。

「また一緒に走れますね」

さらに続けた。

「フルマラソンでマエケン先輩を絶対に倒します」

私は笑った。

去年の福岡マラソンで彼は、20キロで脚が吊った。

今回は倒すのをやめておくとわざわざ言いに来た。

「次は見てろよ」

そんな顔をしている。

「俺はゴキブリ並みにタフだぜ」

と言いながら。

私は少し違うことを考えていた。

もしその夢が、

私を倒すことで終わる夢なら。

少し寂しい。

そんなことより。

一緒にトラックを走ろう。

2016年の夏。

タロウくんが私のチームの記録会にきた。

3000メートルで全力勝負をした。

私は勝てないと思った。

だから1000メートルから一人で飛び出した。

フィジカルで負けるなら、OSで勝負する。

だが予想通り。

ラスト200メートルで差された。

大学生の頃から何も変わっていない。

大牟田の先輩。

マタロウ。

特待生の後輩。

みんな私を抜いていった。

それでいい。

速さでは勝てない。

でも、あの時間が好きだった。

朝の競技場。

記録会前の沈黙。

ゴール前、息が切れるまで追い込むこと。

レース後のどうでもいい会話。

タロウくんにまた会いたい。

また3000メートルを走りたい。

もちろん負けるだろう。

それでいい。

ただ一つだけ願いがある。

みんな辞めないでほしい。

そして出来ることなら。

もう一度同じスタートラインに立って。

俺をラスト200メートルで差しに来てくれないかな。

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