実家で田植えを手伝うのは二度目である。
前回の話は妻の実家だった。今回は私の実家だ。
私の地元、福岡県朝倉では晩稲を植える。
春は麦が黄金色に波打ち、六月に刈り終えると田んぼへ水を引く。そして梅雨の雨を待って田植えをする。
子どもの頃から当たり前に見てきた風景だった。
だが調べてみると、これは全国どこでも見られるものではないらしい。
東北では雪があるため一年一作が基本。関東も水田での二毛作はそれほど多くない。
麦を刈った田んぼへ、そのまま稲を植える。
土地を一年中働かせる知恵が、この豪農地帯には何百年も積み重なってきた。
前の週に妻の実家を手伝ったので
年老いた自分の方の両親が少し気になり、今年は半ば無理やり手伝いに帰った。
大阪ですっかり、りざとい関西人になった息子が帰ってきたのが嬉しかったのだろう。
口の悪い元教師の父も珍しく文句を言わなかった。
だが歓迎の仕方だけは昔から理解できない。
焼肉なのである。
半額シールの貼られた国産牛を冷凍しておき、こんな日に振る舞う。
せっかく米どころなのだから、炊きたてのご飯と漬物、それに庭の野菜だけで十分贅沢なのに、と都会っ子になった私は思う。
子ども三人を寝かせたあと、母と夜更けまで話した。
いや、話してはいない。
お互いが推しているストリートピアノ奏者の動画を延々と聴かせ合っただけだ。
たぶん母は私が薦めた演奏をもう覚えていないし、私も母の推しをほとんど覚えていない。
だったら案山子相手でもよかったのではないか。
そんな不毛なことを続けていたら、気づけば夜中の二時だった。
家族というのは、情報を共有する相手ではない。
情報を叩きつける壁なのかもしれない。
翌朝、眠い目をこすりながら箱苗二百枚を軽トラックへ積み込む。
土色のキャンバスへ、一定間隔で緑を刺していくゲームである。
そのうち田植え機の調子が悪くなった。
父はいつものように農機具屋のおっちゃんを呼んだ。
「先生、全然手入れしとらんやないね!」
グリスぐらい塗らんけん、こうなるとよ。
父が叱られている。
久しぶりに見るその光景が、なんだか妙に気持ちよかった。
妹へ報告すると笑いながら言った。
「兄ちゃん覚えとう? お父さんが車のエンジンオイルとか交換しよるとこ見たことある?」
ない。
「田舎やけん、誰かが何とかしてくれるったい。」
衝撃だった。
よく今まで壊れなかったものだ。
いや、壊れていたのかもしれない。
そのたびに誰かが来て直してくれていたのだろう。
豪農地帯の豊かさは、麦や米だけではなかった。
困れば駆けつける人がいて、叱りながら直してくれる人がいる。
そんな人間関係まで、この土地は育てていた。
帰る前、母が庭で採れた野菜を天ぷらにしてくれた。
「次から焼肉はいらんけん、これを食べさせて。」
そう言うと母は笑った。
「そんなありふれたもん、誰が喜ぶとね。」
私は思った。
その”ありふれたもの”を、一番贅沢だと思う年齢になってしまったらしい。

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