エイハブのロープ

日曜日の朝。

いつものように大濠公園で

1000m×6本をやった。

設定は3分5秒だったと思う。

だがサカイくんはそんなもの守らない。

2本目から3分くらいで突っ込んだ。

「まぁいいんじゃね?」

私もそう思った。

こういう日はだいたい誰か消えてゆく

10人くらいいた集団は気付けば4人になっていた。

その中にナッツくんがいた。

私より一回り若い。

スピードもある。

本来ならこういう練習は得意な方だ。

だが苦しそうだった。

理由は分かっている。

フルマラソンのせいである。

彼は今年何度もフルマラソンを走った。

一人だけ福岡国際の標準記録を切れなかったからだ。

2月には熊本城マラソンを走った。

だめだった。

仲間も手伝った。

一緒に30km走をやった

5月に北海道にいっても

だめだった。

みんなフルマラソンを卒業した。

トラックシーズンが始まった。

だがナッツくんだけは30km走をしていた。

まだ終わっていなかったのである。

彼はあまり喋らない。

だが見ていれば分かった。

福岡国際を追いかけていた。

そういえば会社の同僚も似た話をしていた。

仲良し3人組で大阪マラソンを走ったらしい。

二人は別大の参加標準を切った。

一人だけ切れなかった。

おいていかれただが二人は待っているらしい。

本人もまだ諦めていない

真面目なのである。

真面目な奴は始末が悪い。

私は昔読んだ『白鯨』を思い出した。

エイハブという船長が出てくる。

白い鯨に片足を食われた。

そして人生をかけて追い回した。

漁師をすることより鯨を倒すことに囚われた

だがなぜか嫌いになれない。

練習が終わりダウンジョグになった。

私はナッツくんの隣を走った。

福岡国際の話になった。

私は内心、

もうやめた方がいいんじゃないかと思っていた。

そろそろスピードをやれ。

若いんだから。

その方が絶対にフルも速くなる。

ところが話しているうちに少しおかしくなった。

この間の1500mの話になった。

去年との比較になった。

よく聞くとそんなに悪くない。

むしろ思ったより走れている。

あれ?

私は少し考えた。

あれ?

もしかして勘違いしていたのは私の方か。

ナッツくんは別に沈んでいない。

勝手に沈没ませていたのは私だった。

その時

私の足に何かが触れた。

ロープ
福岡国際
一本ではない。

何本もあった。
ウルトラマラソン
海外レース
5000m
1500m

足首に巻いてあった。

腰にも巻いてあった。

胸にも巻いてあった。

首にも巻いてあった。

私は慌てて口を開いた。

「もう福岡国際はあきらめた方が……」

そこで口にもロープが絡まった。

次の瞬間。

ロープが張った。

遠くで福岡国際という名のシロナガスクジラが泳いでいた。

私は引っ張られた。

抵抗した。

だが止まらなかった。

大濠公園の池が近付いてきた。

空が回った。

ナッツくんが何か言っていた。

聞こえなかった。

私はそのまま水の中へ引きずり込まれた。

翌朝。

大濠公園にはいつものジョガーがいた。

犬の散歩をする人がいた。

ラジオ体操をする老人がいた。

福岡国際を目指しているらしいランナーもいた。

何事もなかった。

シロナガスクジラもいなかった。

ただ私はいなかった。

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