エアバギーの車窓から

今日はカイくんとセンちゃんのお誘いで400m×10の日だった。

私の日課は朝5時から始まる。

洗濯機を回し、干し、子供たちが起きる前に細々とした家事を片付ける。

だから彼らはいつも私に気を遣ってくれる。

「5時スタートにしましょう」

自分たちも早番だったりするのに、スーパー早朝に練習を設定してくれるのだ。

ありがたい話である。

4時過ぎに目覚ましが鳴った。

静かに起き上がる。

その瞬間、2歳の娘が目を開けた。

しまった。

彼女は異常なほど私につきまとう。

パパっ子という言葉では説明が足りない。

私が立てば立つ。

私が座れば座る。

私がトイレに行けばドアの前で待っている。

抱っこを要求する執着心は、もはや専属マネージャーの域に達している。

私は脱出を試みた。

眠ったふりをする。

失敗。

枕を使って空蝉の術。

失敗。

隣で寝ている長女を私だと思わせる影分身の術。

失敗。

最後は娘を寝かしつけ、そのままベッドから転がり落ちて床を這い、部屋を脱出するという自来也の最終奥義まで繰り出した。

失敗。

完全敗北である。

時計を見る。

約束の5時が近い。

家族全員を起こしてまで行く気にはなれなかった。

私は諦めて娘をエアバギーに乗せた。

そして河川敷までベビーカーランをすることにした。

若い頃、グアムで白人のお父さんがベビーカーを押しながら走っているのを見たことがある。

その時は思った。

「すごいな」

「そこまでして走りたいのか」

今なら分かる。

走りたいのではない。

走ることを諦めたくないのだ。

私のエアバギーはもうボロボロである。

3人の子供を運んできた。

長女を乗せて25km走ったこともある。

息子が生まれた時は、背中に息子を背負い、前にバギーを押すという人力輸送車みたいなこともやった。

海外旅行で荷物を預けた時には航空会社のスタッフに

「Is this throw away?」

と聞かれた。

捨てる予定の荷物だと思われたのである。

それでも私は捨てられない。

このバギーには子育ての時間が染み込んでいる。

河川敷に着くと、娘は思いのほか上機嫌だった。

タイヤが太いので揺れない。

まるで高級車の乗り心地である。

カイくんとセンちゃんは私を見るなり笑った。

「娘さん連れてきちゃったんですね」

「マエケンさん本当にストイックですね」

私は首を振った。

「今日はサボらないか見張りに来たよ」

そう言いながら、エアバギーを押して彼らの横をジョグした。

彼らは400mを一本、また一本と積み上げていく。

私は娘と並んでその様子を見ていた。

すると、いつもと違う景色が見えた。

川面が朝日に照らされている。

魚が跳ねる。

娘が小さな指でそれを追う。

草が風で揺れる。

遠くで仲間たちが汗だくになりながら笑っている。

朝5時の河川敷はこんなにも美しかったのかと思った。

いつも私は苦しくて下ばかり見ている。

時計ばかり見ている。

設定タイムばかり見ている。

だから気づかなかった。

今日は走る側ではなく、見る側の席に座っていた。

エアバギーの車窓から見た河川敷は、まるで一枚の絵だった。

ゴーギャンが描きそうな色だった。

そしてふと思った。

この景色は二度と戻ってこない。

来年の娘はもう違う娘だ。

私は違う年齢になっている。

仲間も違う走力になっている。

今日の魚は今日しか跳ねない。

今日の朝日は今日しか昇らない。

この絵は今しか存在しない。

今日は400m×10ができなかった。

練習としては失敗の日だったのかもしれない。

それでも私は何かを手に入れた気がする。

帰り道、娘は満足そうにエアバギーに座っていた。

私はポイント練習を逃した親父だった。

だが代わりに、一枚の絵を持って帰ることができた。

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