大阪の枚方に住んでいた頃、練習会にいつも来ていたオッチャンがいた。
クロジさん。
当時、72歳。
誰が見ても老いている。
髪は真っ白。頭頂部は禿げ上がり、耳の上にもほとんど髪は残っていない。
古いキャップをかぶり、ランパンを履き、薄いTシャツで競技場にやってくる。
背中は少し曲がっている。
それでも、いつも前を向いていた。
クロジさんは、昔、百貨店系列の実業団に所属していた。
5000mのベストタイムも相当なものだった。今の時代でも実業団で走れそうなタイムだったという。
合宿で一緒になったとき、クロジさんと話す機会があった。
「35歳のときね。私も走れなくなって、人生に迷いました」
故障だった。
実業団の中で選手として走れなくなった。
「走れなくなると、まるで自分の価値がなくなった気がしたんですわ」
少し間を置いて、クロジさんは続けた。
「ほいでね。そんな時に、あいつに出会いましてね」
何ですか?
「トヨタのスープラ」
思わず笑ってしまった。
「大阪と奈良の間にね、峠があるでしょう。そこを毎日のように走り回ってましたわ」
「枚方から生駒をこえて毎日のように乗りましたね。あれは速かった」
72歳のクロジさんが、少年みたいな顔をしていた。
速い車に乗れば、自分もまた速くなったような気がしたらしい。
けれど、それも数年で飽きた。
「気がついたら、またこの枚方の競技場に居ました」
そこからクロジさんはマスターズのチームを立ち上げた。
もう記録ばかり追うのではなく、仲間とダラダラやろう。
そんなふうに決めたらしい。
その頃、私は30歳だった。
ある日の枚方の競技場。
私と24歳のタクロー、そして何人かの高校生でペースランをした。
練習が終わった。
するとタクローが言った。
「流し、200mを5本やりません?」
私はヤレヤレと思った。
けれど、高校生を連れて走るのは嫌ではなかった。
大学生の頃、一緒に走っていた速い選手たちを思い出していた。
彼らにまた会えたような気がした。
その私たちを、クロジさんはじっと見ていた。
目をそらさない。
真っすぐに。
その目線の先には、彼の青春時代が滲んでいた。
練習会の最後、全体集合になった。
クロジさんは我慢できなくなったように口を開いた。
「タクローくんが練習後に流しを始めた。あれをぜひ皆さんもやってほしい。あれをやったら、きっと皆さんも速くなれます!」
72歳のクロジさんが、24歳のタクローと高校生たちの流しを見て、嬉しそうにしている。
競技場は、自分とも戦う場所なんだ。
私にはそう聞こえた。
それから何年か経った。
枚方の競技場の記録会に行くと、クロジさんが審判をしていることがあった。
「まえちゃん、また出たんだね」
そう言ってくれた。
枚方の競技場には、昼の光がよく入る。
レンガ色のタータンに、規則正しく白線が並ぶ。
ゴール前には、ラスト1周を告げる鐘がある。
クロジさんが鳴らすラスト1周の音色は、何よりも綺麗だ。
明るくて、きれいで、清潔な場所。
そこが、クロジさんの居場所なのだ。

コメント
クロジさん、、、この記事を読まれたら、とても喜ばれると思います。
私も、あの頃の枚方陸上競技場での光景が甦りました。
あつこさん
コメントありがとうございます
同じ陸上を愛する仲間として襷をもらった気持ちになれたのでこれからも帰ってこれる場所としてチームを盛り上げますね( ̄^ ̄)ゞ
大阪に来た際はまた一緒に走ってください!
お久しぶりです
コメントありがとう!
送別にいただいたポロシャツこの時期はいつも使わせていただいています