ココ・シャネルに拒絶された

古いウェアを着るのが好きだ。

長いこと陸上をやっていると、数年前に始めた人達よりも自分の方が箔があると思いたくなる。

もちろん勘違いである。

だが、その勘違いも含めて嫌いではない。

靴底が薄くなりきったシューズを履く。

福岡国際マラソン2012年ロンTを未だに着ている。

新品のウェアは少し苦手だ。

山で真新しい登山ウェアを見ると、その人は何も悪くないのに「数日前に始めたのかな」と勝手に思ってしまう。

新品には歴史がない。

汗も失敗も染み込んでいない。

私はそういう物より、くたびれた物の方が好きだ。

だから走る時の格好はだいたいボロボロである。

私生活ではさすがに穴の空いたスーツは着ないが、ズボンはバナナリパブリックの半額の半額で買う。

シャツも楽天ポイントで実質無料みたいな物だ。

時計は8年物のガーミン235。

朝食は子供の残飯。

髪は自分でバリカン。

移動はランである。

これが私だ。

水曜日の朝5時。

ガマちゃんとカイくんと朝練をした。
雨の中、400mを10本走る。

走りながら私は言った。

「今日は年休なんよ。走って免許更新に行く」

するとカイくんが笑いながら言った。

「罰ゲームがご褒美になっちゃってますよね」

まったくその通りだった。

電車代はいらない。

駐車場代もいらない。

運動にもなる。

むしろ得しかない。

私達ランナーは、普通の人なら嫌がることを喜んでやる。

雨の中を走る。

朝5時に起きる。

休日に50km走る。

冷静に考えるとだいぶおかしい。

だが本人達は幸せそうなので始末が悪い。

朝練を終え、子供を保育園に預ける。

そして家から免許更新所まで16km走った。

帰りも走るので、この日は50km近くになる。

なんて便利な身体なのだろう。

ガソリンもいらない。

駐車場もいらない。

私は自分自身に少し酔っていた。

帰り道、天神を走る。

学生の頃は随分都会に見えた街だ。

だがこの年になると少し印象が違う。

ワンビルも立派なのだろうが、昔ほど大きく見えない。
大阪でグランフロントを見たり、色々な街を見たりしたからかもしれない。

人間は年を取ると、建物より自分の勘違いの方が小さくなっていく。

そんなことを考えながらワンビルの前を走っていた。

その瞬間だった。

雨に濡れた大理石で足が滑った。

見事だった。

本当に見事だった。

私は転んだ。

いや、転んだというより流れた。

大理石の上をスーッと滑っていった。

そして仰向けになって空を見た。

その視界の先にあったのは、
CHANEL

の文字だった。

私はしばらく動けなかった。

ボロボロのウェア。

8年物の時計。

5年前の福岡国際のシャツ。

子供の残飯で動く身体。

そんな私を、CHANELが高いところから見下ろしている。

ああ。

私はココ・シャネルに拒絶されたのである。

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